カフェとビーチ、
コミュニティをつくる
二つの風景

楠本 修二郎 カフェ・カンパニー株式会社 代表取締役社長 × 
宮原 秀雄 青島ビーチパーク 統括ディレクター

宮崎の印象っていかがでした?

楠本

僕は出身が福岡で、昔から家族で高千穂なんかよく行ってたんです。僕も古事記とか大好きなんで、宮崎は神の地ってことで憧れがありましたね。農家さんもいろんなとこまわりましたから、すごく豊かな土地って印象なんです。だから、例えばマンゴーとか特産品じゃなくて、ライフスタイル全般で宮崎を伝えられたらいいのにって思ってましたね。

今回、出店を決めた経緯を教えてください。

楠本

なんで今回出店したかというと、平たく言えば宮原君、ヒデがいたからです(笑)まあ、きっかけはそうなんですけど、僕は以前に表参道に246COMMONっていう空き地を利用した遊び場を作ったんです。商業施設の休遊地にキッチンカーなどを約30台入れた遊び場を作ったんですね。ポートランドなんか行くと必ずフードカートのパークがあって、空き地っていう概念がないんですよ。日本ってそういうケーススタディが少ない国なんです。都心部でビルが建っていないと、そこが空いてるってことになる。空いてるなら有効利用で駐車場にしましょうってなるんですね。空間をどうバイタルにするかっていうのが僕の仕事なので、それは絶対おかしいと思っていて。246COMMONを都心でやることによって、それを地域のケーススタディにしたかった。で、今度は海辺でやったら面白くできるんじゃないか、この絶景でやるって最高じゃん、ってこのプランを聞いたときから思ってました。

宮原

246COMMONはすごくインパクトがありましたね。僕、宮崎に来て青島ビーチパークのお話しをもらったとき、まず市の担当者の方に「とにかく246COMMONを見に行って」って。

楠本

あれは言葉じゃ説明つかないからね。

宮原

246COMMONが出来た背景やその思いも理解してもらいたかったんです。ビーチパークではコンテナ使ってますけど、それはあくまでツール。コンテナで海の家を作ることが目的になるのはダメなんで。自分たちの目的に対してコンテナだとやり易いから、という風に考えなきゃいけない。そういうことをインスパイアされたのが246COMMONでした。

逆に青島ビーチパークのことは、楠本さんや周囲の耳に届いてましたか?

楠本

そりゃ、もちろん。東京でもみんな知ってますよー。いま僕なんて完全に「おのぼりさん」ですよ。だって、みんなここで写真撮ってフェイスブックやインスタグラムに上げてるんだもん(笑)青島ビーチパークはヒデが来て1年くらいでスタートしたでしょ?最初に彼から青島ビーチパークの構想を聞いた時は、まあ3年くらいは掛かるだろうっておもってましたから、これは凄いスピードだなって。行政の意思決定が早かったり、東京よりリーダーシップが効く。これが地方の強みだと思うんです。僕は東北の支援活動もしてますけど、いま地方は圧倒的にスピードが早い。そういう素敵な時代になりましたよね。

カフェ=地域をポジティブに変えていく場所

実際に今回青島ビーチパークに脚を運んでみていかがでしたか?

楠本

僕は一貫して人と人とのコミュニケーション、コミュニティをつくるということをやってきました。色んな人たちが対立しないで「まあまあ」って仲良くするのが大好きなんですよ。それぞれ違うんだけどそんなに不快ではなく共存共栄ができるかたち。一般的になにか新しいことが始まると地元の人と、新しく来た商業主や買い物に来たお客さんとかって対立軸になることがあるんです。でもカフェでたまたま交わると「こんにちは」ってところからコミュニケーションが始まる。そんな感じで人がどう交わったら面白くなるかって発想をもって地域をポジティブに変えていく。それがコミュニティ・ビジネスの面白さなんですね。ポジティブに変えるための手段が、デザインであったり、音楽であったり、美味しい料理であったりする。それを編集する場所がカフェなんです。そういう意味で青島ビーチパークはここ全体がカフェになってると思います。

宮原

楠本さんには是非青島ビーチパークを見てもらいたかったので、そう言ってもらえてとても嬉しいですね。ここも地元の人や行政を巻き込んで、みんなで一緒につくっているので。

楠本

で、そんなコミュニティが拡がっていって、街そのものまでカフェになったという事例がポートランドだと思うんです。それぞれにキャラクターがあって、お互いの違いをリスペクトしてる。大手企業と下請けみたいな上下関係がないんです。規模が大きな日本のサプライチェーンだと、実際に生産している農家さんが表に出てくることがあまり多くないんです。でも街の規模がコンパクトだと「あそこの牛肉にしよう」とか「彼の野菜をだそうよ」とか、コミュニティでみんなでやろうよって発想になりやすいとおもいます。そうすると街全体が必然的にカフェのようになっていく。宮崎はまさに街全体がカフェのようなコミュニティを目指せるとおもうんですよね。都心だったら半径500メートル以内のスモールコミュニティをどう作るかっていう発想になるからカフェなんです。でも地方は地方のコミュニティの作り方があるから。

宮原

楠本さんとお話しすると、刺激を受けすぎちゃって消化するのに何日もかかる(笑)でも、やっぱり間違ってなかったと思えるし、これから5年、10年先もそういうことだと。カフェやコミュニティの捉え方もいろいろあると思うけど、僕が特に意識しているのは海との暮らし方、人と海との付き合いかたです。日本の海辺っていえば海水浴、サーフィン、釣りになっちゃうけど、いやビーチで本読もうよ、音楽聴こうよ、ピクニックしようよみたいな。楠本さんがおっしゃるカフェを僕なりに置き換えるとそういうことかな。

青島が日本のビーチを変えるケーススタディになる

楠本

でも、僕はいま鎌倉に住んでるんですけど、あのビーチがこんな感じのカフェになるかというと、いま改めて思ったけど難しいですよね。

それはどうしてでしょうか?

楠本

青島は、まず海と山との関係性が非常にタイニーでコンパクト、それから弓なりの海辺がすごい。結果としてここに人が溜まるって構造になってる。こういう目に見える風景ってすごく大事なんですよ。いろんなところに旅をするとケーススタディが見えてきますよね。僕も事業としてやる以上は失敗できない。まあときどき失敗しちゃうんですけど(笑)でも失敗した時の原因は明確なんです。逆に上手くいった理由を分析するのは割と難しい。それでずっと考えながら風景を見ていると、「あれ?この感覚はなんだろう」って感じてくるようになるんです。

宮原

まさにこの弓なりが僕すごく好きで。街があって、空港があって、サーフィンのポイントがあって、こっちに青島っていう。この前オーストラリアに行った時に、バイロン・ベイに住んでる友達が言ってた。宮崎と親和性すごくあるよねって。

楠本

日本ってね、実は海岸線の長さが世界6位なんです。すごいんです、海岸線大国なの。でも海岸線を利用してない率は圧倒的に1位でしょう?ここみたいにコミュニティができてるってシチュエーションは相当少ない。だから青島みたいにつくろうよっていう人が増えて、宮崎だけじゃなくてネットワークでつながっていく。それがここから発信されると日本の海岸線が元気になりますよね。みんなでシェアして、みんなでハッピーになる術がここにある、ってケーススタディになるとすごくいい。

宮原

ちょっと僕、楠本イズムあるな(笑)というのも、もうすぐ和歌山と徳島に行くんですけど、青島について勉強してくれている仲間たちがいるわけですよ、むこうで新しいビーチスタイルを作ろうとしてる人たちが。で、こっちにあるもの向こうにもお伝えしたいし、向こうで宮崎にあったら面白いなって思うものを引き上げられたらなって思ってる。

楠本

あと沖縄とかにも仲間が絶対いるはずだからさ。沖縄や奄美があって、宮崎があって徳島があって和歌山があってとなれば黒潮ルートになる。そういう文脈を作っていったらいいと思います。何かの繋がりとか結節点をつくると急に盛り上がるから。

宮原

わかる。ちなみに僕は宮崎と徳島と高知、和歌山。やっぱり海と山と川、美味しい水があるっていう共通点があって。今の話なんかまさにそうですね、黒潮ルート。

楠本

それでさ、逗子・鎌倉があって、あるいは三浦半島に横須賀あたりがあって、千葉の館山あたりがあってっていう風に。新幹線のルートとは違うんだけど、僕らの黒潮ルートはこういう文化圏なんだよ、みたいな。それを宮崎発信で南と北をつないでついでに台湾まで行っちゃうみたいなのがいいよね。

宮原

そうですね。ボーダレス、国境は関係ないですよね。

楠本

黒潮ルートで文化圏作った方がいいですよ。で、そのままハワイまでいっちゃうって(笑)

楠本 修二郎

カフェ・カンパニー株式会社 代表取締役社長

1964年 福岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、リクルートコスモスに入社。マッキンゼー・アンド・カンパニー・ジャパン元会長・大前研一の事務所を経て独立。2001年、カフェ・カンパニーを設立する。カフェブランド「WIRED CAFE」をはじめ、型にはまらないブランド展開で注目を集めている。日本文化の海外進出を促進するCOOL JAPAN構想の実行委員会のほか、日本の食文化を世界へ発信する一般社団法人「東の食の会」の代表理事も務める。

宮原 秀雄

青島ビーチパーク 統括ディレクター

1973年 山口県下関市生まれ、愛知県育ち。関西学院大学経済学部卒業後、博報堂入社。2014年3月末に退職するまで17年間、アカウントプロデュース職を務める。その後独立起業し、㈱CANVASを立ち上げる。各種ブランドやクリエイティブのディレクション、新しいコミュニティのプロデュースなどに携わる。2015年1月に東京を離れ、家族で宮崎へ移住。青島ビーチパーク始動からその統括ディレクターを務める。

vol.03 2017 04/24-10/29

Photpgrapher

Tomohiko Taniguchi
Kimiyuki Kumamoto

Writer

Satoshi Ogura
Ayaka Kubota

Art Director

Osamu Goto

Producer/Director

Hideo Miyahara